Pale September/Fiona Apple

今年2度目の日記を書くのが今頃だなんて、あきれて笑うしかない。
今日は4年前に亡くなった父の命日だった。仕事はほとんど終わっていたけれど、帰省もせず、時折、ぼんやりと回想するだけにした。そして、夏の初めに帰省した時のことを、ふと思い出した。
遺品の本の山の中に、今まで気付かなかった映画のパンフレットが数十冊紛れ込んでいた。子供の頃から大の洋画好きだった父が、パンフレットを集めていても、たいして驚くことではない。しかも、見つかったのは、ここ20年以内の比較的新しい作品ばかりなので、やや落胆さえした。好きなジャンルは、歴史スペクタクル、戦争物、SF、ホラー&サスペンスetc.が中心で、残っていたパンフレットも、ほとんどその類だった。そんな中、1冊だけサイズが小さいために、かえって目立つものがあった。そのタイトルも、周囲から浮いていた。『サマーストーリー』という、陳腐なメロドラマ風タイトルが、父の趣味に合っているとは決して思えなかった。その存在理由を確かめるため、思わず手に取ると、表紙には、イギリスの田園風景と、20世紀初頭のレトロな衣装をまとった男女が写っていた。それで全ては読めた。確信と共にページをめくると、予想通り、それはイギリス人作家John Galsworthyの『The Apple Tree』を映画化したものだった。
Galsworthyといえば、一見、父(=酔っ払うと、Edgar A.Poeの「The Raven」を原文で大声で唱えだすような人)の好みから外れたタイプの作家に思われるけれど、少なくとも、『The Apple Tree』に対しては、相当な愛着を持っていたようだった。
子供の頃、新潮文庫の邦訳『林檎の樹』が本棚の片隅にあったことを覚えているし、高校生になったばかりの私に、「短編で読みやすいから読んでみなさい。」と言って、その原書を手渡してくれたのも父だった。ところが、私といえば、その内容にまったく感情移入ができない上、曖昧な文学的表現の多い英文を訳すのが面倒で、読むのを途中で挫折してしまった。それでも、そのタイトルだけは、ずっと記憶に残っていた。そして、今頃こんな形で再会することになったのだから、思わず涙ぐんでしまったのも当前だろう。
それにしても、父はこれが映画化されたことを、どうやって知ったのだろう。それに、全国公開されるような娯楽大作や話題作ではないので、もしかすると、わざわざ遠くのミニシアターまで足を運んだのかもしれない。それほどまでに、この作品に魅せられた理由を知りたいけれど、今さら父に確かめることもできない。