それで自由になったのかい/岡林信康

TVを見ながら食事するというのは、1人暮らしするようになってからようやく可能になったことで、実家に居た頃は親がうるさくて、絶対に無理なことだった。その反動か、1人暮らしが定着している今は、たとえ仕事で忙しい時でさえ、食事の時間ぐらいはTVをつけて、ひと息つくことにしている。もちろん今日もそうで、お昼のニュースの後で適当にチャンネルを替えていたら、なんと岡林信康の姿が眼に飛び込んできた。普段なら絶対に見る気もしない『笑っていいとも!』に出ているので驚いた。これって、ライヴの告知か、ニュー・アルバムの紹介?食事を運ぶ手を休め、興味津々で画面に見入った。それなのに、目下凝っているというレース鳩の話題に終始するばかりだった。
彼の姿を最後に見たのは、警官に扮したドラマ仕立てのお茶のCM(これは、ある意味で衝撃的)だったので、10数年ぶりということになるけれど、太りもせず、やつれもせず、きれいに歳を重ねているように見えた。
私は、日本のフォークやロックのことはよく知らないけれど、その昔、クラスの男の子が岡林の曲を歌っているのを聴いたのがきっかけで、少しだけ興味をもった。ギターも弾けないのに、楽譜集(自由國民社刊?)を買ったりもした。放送禁止になっている曲が多いため、レコードはなかなか買えなかった。それでも、万博見物に行った帰りに、大阪のデパートのレコード売り場で「手紙」のシングル盤を見つけた時は、うれしくてたまらなかった。そのシリアスな内容は、子供だった私にはヘヴィすぎたけれど、哀愁を帯びたメロディの美しさはなんとも言えなかった(「チューリップのアップリケ」についても、同様のことが言える)。
とはいえ、それ以上深い知識はなく、伝説の中津川フォーク・ジャンボリーのことや、その時、はっぴいえんどがバック・バンドを務めていたことなどを知ったのは、ずっと後になってからだった。その間に、音楽活動を休止して農業に従事したり、美空ひばりと交流を深めたり、という話題は、何となく耳に入っていたけれど、さほど注目することもなかった。
さらに月日を経て、あのRolling Coconut Revueで、Eric Andersenと共にステージに現れた時は驚いた。そして<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=435022&log=20040520">「Come To My Bedside」</a>をデュエットした時、Ericのパートはほどよくセクシーに聴こえたのに比べ、岡林の方は、少女趣味の私の耳には、なんだか生々しく、卑猥に聴こえて、眉をひそめたものだった。あれからまもなく30年だなんて・・・。