Disorder In the House/Warren Zevon

発売が何ヶ月も遅れていたDVD『(Inside)Out:Warren Zevon』が、ようやく届いたけれど、外出していたので見る時間がなかった。いや、それはただの言い訳にすぎないかな。たとえ時間があったとしても、未だに見る覚悟ができていないのだから。これまで数多くの大好きなミュージシャンが、この世から去っていった。John Cipollina、Nicky Hopkins、Brian Jones、Jesse Ed Davis、Rick Danko、Dino Valenti、Paul Kossoff、Duane Allman・・・と挙げていったらキリがない。だが、彼らと違ったのは、Warren Zevonの場合、まず不治の病が公表され、私たちファンは、(何らかの奇跡が起こることを願いながら)なすすべもなく、その忌々しい瞬間が訪れるのをただ待つしかなかったということだ。毎日、毎日、ネットで彼の生存を確かめてから、1日が始まるというのが、約1年間私の日課となっていた。
彼を初めて知ったのは、初来日の少し前だった。Linda Ronstadtに提供しているどの曲も素晴らしくて話題になり始めた頃、Bob Dylanの「ローリング・サンダー・レヴュー」をもじった「ローリング・ココナッツ・レヴュー」という環境保護コンサートのため、親友のJackson BrowneやWaddy Wachtelらと共に来日したのだ。私は3日間通い詰めた。全ステージの中で一番印象的だったのが、彼がピアノで弾き語りする「Hasten Down The Wind」だった。
一見、文学青年崩れの風体をした彼だが、実際、その詩も小説のように固有名詞が多く、それぞれがまるで映画の1シーンのように頭に浮かび上がる。これは、Elliott Murphyにも共通することなのだが、私はそういうのに弱い。たちまち、数多いSSWの中で特別な存在となった。届いたDVDは、そんな彼が、死期を悟った後に、友人のミュージシャン達との最後のセッションを収めた映像だというのだから、軽い気持ちで見られるわけがない。多分、こういった試みは、今後増えるだろうが、今はまだ戸惑うばかりだ。
タイトル・ソングに使ったのは、DVDとラスト・アルバムの両方に収められている曲。タイトルを目にするたびに、物だらけで散らかり放題の自分の家を連想して、頭が痛くなる。ゴールデン・ウィークまでにきれいに片付けることになっているのだけれど、さてどうなることやら。何しろ私は悪名高き「片付けられない女たち」の1人だから。