1873(Buffalo Diary)/Edie Brickell & New Bohemians

実を言うと、この日記、まだ非公開状態が続いている。ごく親しい人にさえ秘密のままだ。自己満足のために書き始めたものなので、人に読んでもらうという形になっていないから。その上、馬鹿げたことを書き並べているので、まるで散らかり放題の自分の部屋を見せるように、わけもなく恥かしい。そのくせ、他の人の日記を読むのは大好きなのだから、勝手なものだ。そんな中、今日、ある人の日記に、興味深いことが書かれていた。その人が最近読んだという本についての説明だが、何かに対する「恐怖症」は「置き換え」によって生じるらしい。つまり「あるものに対する正常な恐怖心や反感が、他の何かに置き換えられた時に、恐怖症が生じる。本当の恐怖や反感を認めたくない時に、人はこうした防衛的な置き換えを行なう」のだという。たとえば、母親を嫌悪する代わりに、蜘蛛を人一倍恐れるようになる等。ただ、自分自身について考えてみた時、はたしてその通りなのかどうかは疑問だ。私は蛇やイモリなら平気でつかめるし、その気になれば蜘蛛だって手のひらに乗せることができる。1m以内に近付かなくてよいのなら、毛虫やナメクジだって平気だ。蝶や蛾や蝉やトンボやカマキリはもっと怖いけれど、命の危険を感じるほどではない。ところが、ある小さな生き物だけは、その存在そのものがこの世から消えてほしいと思うほど、怖くて怖くてたまらない。半径50m以内にいるとわかっただけで、その場所にはいられない。TVや雑誌でその姿を目にすることさえおぞましい。もし私がスパイだったとして、機密を吐かせたいと思うのなら、何の拷問もいらない。その生き物がたった1匹いる密室に閉じ込めるだけで、あっさり何もかもしゃべってしまうだろう。だから、スパイにはなれないな、と幼い頃から思っていた。また、暗殺者が私を狙う時も、その生き物を見せてショック死させればよいのだから実に簡単だ。証拠さえ残らない。ある生き物をこれほど恐れるということは、私が、他の何かを死ぬほど嫌っているということの裏返しなのだろうか?とうてい信じられない。本当に心底、その生き物を恐れているだけなのだから。勝手に心理分析されるなんて、まっぴらごめんだ。
さて、聴いたことのない曲をタイトルに選ぶのは反則だけれど、Edieの最新ソロ・アルバム『Volcano』なら持っているので許してほしい。ちなみに、プロデュースは、いとしのCharlie Sexton!