Sunflower/Paul Weller

久しぶりにおかしな夢を見た。ボウルに卵を何個も割っている夢。こぼれ出そうになっても、次々と割り続けている。しかも、流し台の下で割っているので、流れ込む水を、必死になって掬い出している。もちろんカラーで、黄身の色も鮮明。FreudやJungの夢判断では、「割る」という行為が肯定的な意味に解釈されることは多分ないだろう。でも私は気にしない。個々の事物が表わすシンボルが、万人に対して共通した意味を持つということ自体、不自然だと思うから。そもそも、一般に、夢というものは深層心理や潜在意識の表われであるかのように言われるけれど、私の場合、もっと単純なことが多い。寝る直前、あるいは数日の間に見たり聞いたりしたものの中で、特に意味やインパクトのないものでも、突然、無意味に誇張されて夢に現われるということがよくあるから。今回、大量の卵の夢を見た理由にも心当たりがある。おとといの晩、TVで放映された『ひまわり(Sunflower)』を見たからに決まっている。初めて見たのは中学生の時だった。地方に住んでいたので『要塞』(先日DVDが出たばかり)と2本立て。とてもなつかしくて、始まってからしばらく見ていた。途中でシャワーを浴びるため中断し、その後また再開した。そんな中で、結婚式の後、何十個もの卵を使ったオムレツを食べるシーンがあった。映画の本筋とは特に関係のないコミカルなシーンで、2人が食べきれずに捨てた後、窓を開けるとさらにカゴ一杯の卵が届けられていて、「もう一生、卵なんか見たくない!」というようなセリフまである。ただ、あえてそのシーンを真剣に見ていたわけではないのに、形を変えて夢にまで出てきたというのはちょっと不思議だ。そんなことより、私は未だに、あのラストシーンの愛ある別れというものが理解できない。そんな大人の気持ちは、一生わからないままだと思うし、わかりたくもない。
タイトル・ソングは、私が唯一知っているPaul Wellerの曲。何年も前に偶然耳にして気に入った。以来、ソロ・アルバムや、さらに遡って、JAMも聴きたいと思いつつ、未だに実行に移せずにいる。
そういえば、ギリシャ神話に、太陽神アポロに恋をしてひまわりに姿を変えた娘の物語がある。でも、ひまわりがヨーロッパに伝わったのは16世紀頃なので、実際にはキンセンカだったと言われている。それではインパクトがなさすぎるので、いつのまにかひまわりにすり代えられたのだろう。