Fast Fox Trot(Buck Rag)/Reverend Gary Davis

このところ、犯人と被害者の関係がよく理解できないような事件が立て続けに起こっている。しかも、全てパターンが違うのに、凶悪事件という点では共通している。いやな世の中だ。
それとは関係なく、海外ニュースで、イギリスの狐狩り禁止法案に反対する流血デモが報道されていた。参加者の大半は農民だった。自分たちの生活を脅かす狐狩りを禁止するとは何ごとだ!という抗議だった。正直言ってこれには驚いた。というより、狐狩り問題に対する私の認識が、実に甘かったことを痛感させられた。これまで私は、「狐狩り=貴族の優雅なゲーム」としか見ていず、ただの遊びのために、猟犬をけしかけて狐を殺すなんて、思い上がりもいいところで、残虐極まりないと感じていた。実を言うと、数ヶ月前、これについて長時間議論したことさえある。その時の議論の相手は、たとえ狐狩りが貴族の遊びにすぎなくても、それは「伝統」なのだから、あえてとやかく言うべきものではないという消極的な意見の持ち主で、私には、それが冷淡で無関心に思われ、ショックを受けると同時に激怒し、いかに残虐であるかをわからせようと必死になった。
ところが、今回の報道を見ると、これがただの貴族のお遊び云々という単純な問題ではなく、農民の生活に大きな影響を与えるものだということにようやく気付き、自分の一方的な物の見方を恥じている。農作物を荒らし、家畜や飼い犬に、重病につながる病原菌を感染させる恐れのある狐を野放しにするわけにはいかないという、農民の意見はもっともだ。これは、近海で漁師の獲物の魚を大量に奪うイルカを、やむをえず殺すこととまるで同じだから。そういう事情を知ろうとしない部外者が、動物愛護の観点だけで非難することは、片手落ちとしか思えない。食物連鎖の頂点(見かけ上)に立つ人間が、自らの生活を守ろうとすることに対し、誰も何も言えないはずだ。かといって、貴族の狐狩りには今でも大反対だ。死活問題と遊びは大違いだから。その辺のことは、やはり区別して考える必要があると思う。安易に、何もかも一括りにして考えようとするから、今回のようなデモに発展したのだろう。
さて、Rev.Gary Davisは、Jormaのフィンガー・ピッキング奏法の師匠の1人とも言えるカントリー・ブルーズの巨匠。Jormaも、多くの曲をカヴァーしているし、今年の初めに行なわれた彼のトリビュート・ライヴには、もちろん参加している。