Confession Blues/Ray Charles

早いもので今日から10月だというのに、季節感はあまり感じられない。今日は、日記の残りの部分を書いた。核心に触れる一連の出来事を、時系列的に並べたにすぎないけれど、やはりどこか醒めた部分があるのは否めない。
何年か前から「一卵性母娘」という言葉をよく耳にする。双子の姉妹か友人のように、仲の良い母と娘のことを指すらしい。ところが私の場合、幼い頃から母とはあまり折り合いが合わなかった。その分、父との関わりは密接だった。父は、とても威厳があり、怖い存在であると同時に、良き話し相手であり、また、尊敬できる人でもあった。私が小学校に入る頃、祖母が亡くなったので、母は、生まれたばかりの妹につきっきりになり、離れに自分の部屋を建ててもらった高学年になるまでずっと、私は父と同じ部屋に寝ていた。その頃楽しみだったのは、毎週日曜の朝、布団の中で色々な話をしてもらうことだった。その内容は、各国の童話や神話、歴史からホラー話、映画や音楽の話、さらにはもっとくだけた話まで多岐に渡っていた。多分、当時から、母がつけ入る隙のないほど、父と私は仲が良かったに違いない。けれど、溺愛されていたという自覚はない。一般に、父親というものは、娘を猫っかわいがりするものだとよく言われるけれど、父は、私を甘やかすような人ではなかった。たとえば、夕食時間に少しでも遅れて帰宅すると、ひと言も口をきいてもらえないし、テストで良い点を取っても、褒めてもらったことなんて一度もなかった。これもずいぶん後で聞いた話になるけれど、父が自覚する若い頃のあまり好ましくない資質(勉強や努力が嫌いで、ミーハーなところなど)まで、私がしっかりと受け継いでいるので、まるで幼い頃の自分を見ているようで、複雑な気分だったそうだ。しかも、私は外見まで父親似だ。なのに、良い面はあまり受け継いでいない(外見が似ていることが、はたして悪いことなのかどうかわからないけれど)。特に、モラリストである父にとって、遅刻(&たまにはサボリも)を平気でする私なんて、きっと耐えられなかっただろう。また、さっさと1級を取ったある習い事を続けているフリをして、勝手にやめていたのがバレた時は、仏壇と神棚と神社の前で懺悔させられた。きつく叱られるのではなく「こんなにショックなことはない」と嘆かれたことが、子供心にとても重く響いた。
タイトル・ソングは、そんな懺悔の意味をこめて。