You Are So Beautiful/Joe Cocker

また実家に戻ることになっていたのに、眼が覚めたら10時を過ぎていた。7時半にアラームが鳴ったことさえ気付かなかった。こんなことは初めて。おかげで、実家に着いたのは、私と交代する予定で今日まで滞在を延ばしていた弟が、すでに立ち去った後だった。
ところで、昨日、父が私を甘やかさなかったという点に触れたけれど、ちょっと違う方面でも、厳しく育てられていた。一般に、父親が娘を溺愛しがちだということは、昨日書いた通りで、中には、周囲から見れば少しもかわいくない子に対しても、幼い頃から「かわいい」や「きれい」を連発して暗示をかけ、場合によっては、身の程知らずとも思えるほどの自信を与えてしまう親が少なくない。ところが、私の場合、幼い頃から厳しい言葉を浴びせられていた。父によると、「かわいい」という認識は、人それぞれの主観によって決まるので、誰に対しても使うことのできる便利な言葉だけれど、「美人」というのは、「黄金律」によって定められた正しいバランスに基づいた配置を持つ、ごく限られた人にしか当てはまらない言葉だという。要するに、私は、丸顔で鼻が低いというだけの理由で、幼稚園児の頃、すでに「美人」の基準から外れている、と暗に言われていたということになる。子供の頃にそう言われると、その後の「美」に対する認識も、とてもシヴィアなものになってくる。そのため、ほとんどどんなタイプに対しても、「○○美人」という表現で、「美人」という言葉を安売りするマスコミには疑問を感じてしまう。これは、父に「厳しく」育てられた私のひがみなのだろうか?
ちなみに、母は、悔しいほど鼻が高く、正真正銘の正統派美女で、参観日のたびに人目を引いていた(なのに、本人にはまったくその自覚がなかったのだからタチが悪い)。担任でもないのに、「君のお母さん、美人ですね」と言いに来る男性教師も少なくなかった。そのたびに、私は謝る必要もないのに「似てなくてすみません!」と答えていた。でも、肝心の父は、母を美人と認めながらも、それほど好みのタイプではなかったらしい。母から猛烈にアタックされて、徐々に気に入ったという。最初それを聞いた時は、半信半疑だったけれど、今頃になって、それは本当だったんだな、と実感している。
でも、今頃になって父に反論したくなった。タイトル・ソングの歌詞のように、「美しさ」も主観で決まることだってあるじゃんないの!と。