Air That I Breathe/Randy Vanwarmer

寝る前の天気予報では、明け方寒くなると言っていたので羽根布団を2枚も重ねて寝たのが失敗だった。暑苦しく、おまけに、喉がカラカラになって目が覚めた。これはちょっとまずい感覚。もしかすると、久々のパニック発作?とりあえずお水を飲んで落ち着こうと思ったのに、電気をつけたら眼がクラクラしてきた。時計を見ると5時前。きれいな空気でも吸えば治ると思い、窓を開けたらあたりはまだ暗く、その暗闇を見たらますます息苦しくなってきた。こんな時、無理に眼を閉じて寝ようとしても逆効果だ。仕方なく、隣りの部屋に行ってPCを起動させた。かといって、まだ脳が眠っていて何かを書くこともできないので、気を紛らすためにしばらくネット・ゲームをしていたら、いつのまにか治まり、あたりも白んできた。気が付いたら7時を過ぎていた。そのまま寝ないでいると、いつまでたってもボーっとしたままで、1日が潰れてしまうことがわかっているので、とりあえず数時間仮眠することにした。
お昼前に起き、あまりの空気の冷たさに驚いた。外に出る気力もなく、午後の間ずっと、日記を書き続けることにした。すぐにまた仕事が再開するので、いつまでもこんなことではいけないのだけれど、なかなか通常の生活には戻りづらい。
そして、今日もまたCDが届いた。今回もJill Sobuleでアメリカに注文した『Happy Town』。代金より送料の方が高いけれど、合計しても\1000にも満たない。
ところで、目下、相次ぐ集団自殺が話題となっている。見知らぬ人たちと一緒に死ぬという感覚が、どうにも理解できない。「みんなで死ねば怖くない」という集団の心理なのだろうけれど、そもそも、自殺そのものに対し、私は否定的だ。そんな勇気もないし、文字通り1度「死ぬ気」になって、すべてをリセットしてしまえば、何だってやれるのではないかと思う。それとも、こう思うのは、死にたいほど窮地に立ったり、立ち直れないほどのダメージを受けた経験が、私にはないからなのだろうか?
もう1つ言うならば、自殺の手段として最近一番よく利用される練炭には、どうも抵抗がある。幼い頃、我が家は掘り炬燵だった。毎朝、庭で七輪で練炭の火をおこす場面に遭遇するたびに、気持ち悪くなっていた。炬燵の中に何かを落として、拾わなければならない時なんて、息をとめて決死の思いで潜り込んだ。そんなものを、密閉した車中で燃やすなんて、私には耐えられない。