Dear John/John Lennon

週の初めにDino Valentiの夢を見た話を書いたら、早速Cさん(またイニシャル!)が掲示板にレスしてくれた。そして、Cipollinaに会った時のことを色々書いてくれた。本当にうらやましい。実は、彼女に対してうらやましいと思うのは、Cipollinaと会ったという事実だけでなくもう1つある。それは、彼女がごく自然に彼のことを「John」と呼んでいること。些細なことかもしれないけれど、私にとってこれは大きな意味をもつ。小学生の頃からのクセで、ミュージシャンをファースト・ネームで呼びたがる私にとって、大好きなミュージシャンBest3に入る人を、あえてファミリー・ネームで呼んでしまうということはちょっぴり心苦しい。でも、Johnといえば、幼い頃から慣れ親しんでいるJohn Lennonがいるので、どうしてもそちらのイメージが強くなり、John CipollinaのことはCipollinaと呼ばざるをえなくなる(Paulといえば、KantnerとMcCartneyのことをうまく使い分けられるのにね)。もちろん、Cさんにとっても、John Lennonが特別な人であることは間違いないけれど、それでも、両者それぞれに対して、自然にJohnと呼びかけられることがうらやましくてたまらない。
それほど気にするのなら、私もそう呼び変えたらよいのではないかとも思うけれど、なかなかそれができない理由がもう1つある。実は、Cipollinaというイタリア系の苗字がとても気に入っているから。もしこれが、SmithだのJonesだのというありふれた苗字なら、もっと早くからJohnと呼んでいたかもしれない。そう考えると、「好きなミュージシャンをファースト・ネームで呼ぶ」という私の基本方針も、ちょっとあやふやになってくる。
あるいは、実際に眼の前で会っていれば、”Mr.Cipollina”なんていう堅苦しい呼びかけはせず、気軽に”Hi,John!”と呼べたに違いない。そういう機会がもてなかったからこそ、今もなおCipollinaと呼び続けているわけだ。何しろ、私ときたら、本人を前にするとあのJohn Renbournに対してさえ”Hi, John”と呼びかけてしまったほどだから。Stefan Grossmanとのジョイント・ライヴの時だった。この時、Hot Tunaでもおなじみの「Candy Man」が取り上げられたので、ライヴ終了後に歌詞を訊きに行った。実は、Hot Tunaのアルバムに歌詞カードがついていなかったから、というだけの理由で・・・。そうとも知らず、2人共親切に教えてくれた。ちょっと申し訳なかったかな?