Sugar Daddy/Fleetwood Mac

今日は父のバースデイ。去年の秋に亡くなってから、初めて迎えることになる。よく考えたらお彼岸でもあるけれど、連休の真っ最中に何時間も移動するのは好きではないので、お墓参りは日を改めよう。
タイトル・ソングにある「sugar daddy」の本来の意味は、「甘い父親」ではなくて、「下心見え見えで何でも買ってくれるおじさま」のことだから、実は、今日のタイトルにはふさわしくない。同じFleetwood Macの曲に「Oh Daddy」というのもあるけれど、そちらはすでに使ってしまったので、苦し紛れの選曲となった。
それにしても、父は私に甘かったのかどうか?と考えると、ちょっと悩む。本人は、いつも「何でもかんでも好き放題にさせて、親不孝も許しているんだから、こんなに甘い親は他にはいない」と言っていたけれど、はたしてどうだろう?去年10/1付けの日記では、父のことを「とても威厳のある怖い人」と書いた。確かにそれに間違いはない。でも、その一方で、ひと味違ったところで、甘い人だったと付け加えておく必要がある。というより、厳しかったのは、ほとんどすべて「モラル」に関することばかりだった。それ以外の面では、父の言う通り、ほとんど好き放題にさせてもらえたのかもしれない。3人姉弟の長女であるにもかかわらず、一番危なっかしく、そして、頼りなく育ってしまったのは、小さい頃甘やかしすぎたせいだ、とよく言われたけれど、声を大にして否定できないのがくやしい。
今となっては、ほとんどすべての事柄に関して、父に感謝している。でも、1つだけ文句を言いたいのは、無意識のうちに、父が私に容姿コンプレックスを植え付けてしまったこと!10/2付けにも書いたように、父は「美」に対しても厳しい人だった。一般に、女性が自分の容姿に対して自信がもてるかどうかは、娘に対する父親の言動が大きく影響する。周囲から見てどんなにかわいくない娘でも、父親だけはその称賛者になる義務がある。常に褒め称えることによって、「豚もおだてりゃ木に登る」のごとく、いつしか内面の自信が表面にも出て、きれいになっていく。でも、私はそうではなかった。たえず自信がなく、おどおどしている。そして、父親の後に称賛者としてのポジションを引き継ぐのは、恋人(もしくは配偶者)の役目だ。ところが、その立場にいる人もまた、私の父親同様の美意識の持ち主だとすれば、私は一体どうなるのだろう?救いようがない。
せめて今日ぐらいは、しんみりと父を偲ぶつもりだったのに、結局、グチになってしまった。