Someone To Lay Down Beside Me/Karla Bonoff

思いおこせば、修学旅行の時もそうだった。常に一番最後まで眠れず、そのくせ、誰よりも早く眼が覚めた。多分、部屋に誰かがいると落ち着かない性分なんだろう。ほんの少しの物音でもすぐに眼が覚める。昨夜は、母と同室だったので、普段の私にはまだ宵の口の11時にはすでに消灯し、暗闇の中でおとなしくしていた。すると、プチ・パニック発作(この「プチ」という接頭語もどきは、私みたいに語彙の少ない者には「超」便利)が起こって、息苦しくなった。これは、満員電車の中や劇場の中など、周囲に気を遣って自由に身動きがとれない不安にかられる時に起こりやすい。昨夜も、ある意味でそうだった。おまけに、室内がやたらと乾燥してより一層寝苦しく、せいぜい1〜2時間しか眠れなかった。
こんな状態で今日1日もつかどうか不安を抱きつつ、早めにお寺に向かった。天気が崩れると言われていたのに、その気配は一向にない。昨日以上に暖かく、バス停のそばの賀茂川沿いの桜は満開。去年、1人で来た時は、すでに散り始めていたのに、今年は移動中にもお花見気分が味わえる。それだけで満足せず、法要が終わってから、近くにある桜の名所の神社にタクシーで向かった。お寺の後に神社というコースは、いかにも、日本人の宗教に対する無頓着さ(よくいえば寛大さ?)がよく表れている。日曜日ということもあって境内では催しが開かれ、屋台も賑わっている。いくつもの種類の桜が、低い位置にまで垂れ下がり、訪問客はみんな記念撮影に忙しい。私も思わずシャッターを押した。残念ながら、出来栄えは今いちだったけれど。
その後、母が錦小路で買い物をしたいというので、とりあえず、眼の前のバスに飛び乗ったら、目的地方面まで直行する便だったのでラッキー。途中でお客もどんどん減り、まるで観光バスに乗っているようだった。京都に4年間住んでいた妹は、なじみの街並みが出てくるとなつかしそうにはしゃいでいる。私も、見慣れた通りを走る時には、思わず顔がほころんだ。
久しぶりに訪れる錦小路は、相変わらずの人ごみ。勢いに乗って、私もついあれこれと買い込んだ。結局、夕方まで動きっぱなしの1日となった。これなら、カロリーを相当消費しているはず。でも、それ以上に、昨夜から信じられないほどよく飲み、よく食べているけど。
タイトル・ソングは、ほとんど意味のないものになってしまった。そもそも、この曲のタイトルはまだしも、刹那的すぎる歌詞には、全然感情移入できない。だから、私には珍しく、聴きながら口ずさむこともまったくない。