St. Stephen/Grateful Dead

昨日から再び汗ばむほど暖かい。その陽気に後押しされて、伯母や祖父母の眠るお寺に足を延ばすことにした。川を越え、小高い山の上にあるので、お葬式や法事の時はタクシーを利用していた。自転車でふもとまで行き、そこから上まで石段を昇るのは何年ぶりだろう。小学生の頃、毎年秋の写生大会に、学校から1時間以上かけて歩いた時以来かもしれない。当時は、その石段が途方もない数に感じられ、ようやく頂上に辿り着く頃にはクタクタ。だから、今回も家を出る前から覚悟していた。何しろ、真夏や真冬には、ふもとまで自転車で行くだけの勇気もないし、春や秋ですら、雨の日や風の強い日にはパス!そんなわけで、不謹慎ながら1年以上ごぶさたしていたのだから(父のお寺は、実家から歩いてすぐなので、帰省中はほぼ毎日立ち寄れるのに)。こんな好天の日に思い切って行かなければ、いつまでたっても行くことができない。
ところが、そんな決死の覚悟にもかかわらず、ふもとまではあっという間だった。あれ?こんなに近かった?でも、問題はそこから(のはず)。自転車を止めて、いざ石段を昇り始めた。山の斜面一面に、ユリに似た野生の花が群生しているので、しばし足を止めて鑑賞。そして反対側の岩面にはスミレやタンポポ。花を眺めていると、自然に心が和む。それが野生の場合はなおさらだ。両側に気を取られながら、再び上を目指し始めた。すると、5分もしないうちに昇りきった。こんなはずではないのに!子供の頃の記憶が、いかに当てにならないものなのか、思い知らされた。いや、厳密には、記憶が当てにならないのではなく、物の大小や距離、あるいは程度に対する感覚が、子供と大人とでは大幅に違うということなんだろう。それでも、どうしても納得できなことが1つ。大阪に居る時は4階に住んでいて、エレベーターがついていない。疲れている時には、ハァハァ言いながら昇ることもある。それなのに、今日は、それよりはるかに多い石段を何なく昇りきれた。不思議。マイナス・イオンを充分に浴びて、心身共に絶好調だったのだろうか。
先祖のお墓は世界的に有名な博物学者のお墓と背中合わせなので、案内用の立て札を目当てに進むと迷う心配がない。おかげで、1人で来るのは初めてなのに、すぐに見つけることができた。
お参りを終え、そのまま帰るのがもったいなくて、土手に沿ってしばらく自転車を走らせた。あたり一面にふわふわした雰囲気がとても心地よい。その時、ふと口ずさんだのが今日のタイトル・ソング。