Take It Easy/Jackson Browne

梅雨入り発表の昨日の午後から雨は止み、今日も朝から晴れている。夕方には第2弾の仕事もどうにか終わり、ひと息ついていた。
大学を卒業した年の6月も、ちょうどこんな天気が多かった。
当時の私は、今よりもっとツッパっていて、カタギの会社勤めなんか絶対にしたくなかった。唯一の例外は音楽関係のマスコミ。ところが、某大手雑誌の応募資格は「女子は高卒または短大卒のみ」という納得のいかないものだった。当然、大卒でも認めてもらえるように電話してみたけれど、「No!」という冷たい返事。それでも強引に履歴書を送ったら、即返却。おかしな話だ。女性社員を安い賃金で使って、サポート的な役割しか与えないというならまだしも、その会社では、男性よりむしろ女性社員の活躍が目立っていたのに。
もう1社は、どうにか最終面接までこぎつけた。それまでの面接では、編集スタッフの方々の受けもそれなりによかった。ところが、社長面接で大失敗!うっかり、フェミニズムに関する自分なりのコメントをぶちまけてしまった。周囲の人達がおろおろしているのに気付いた時は、もう手遅れだった。今も決して要領はよくないけれど、当時はもっとひどかった。いわゆる「バカ正直」というやつ。
慌てて他社を探し、結局、吉祥寺のタウン情報誌の編集部にもぐりこんだ。そこは大手出版社の下請けなどもやっていて、食べ歩き雑誌の取材を手伝ったりした。それなりに興味深かった。それでも、何かが違うと思っていた。そんな時、新聞の求人広告で「○○○国際問題研究所カリフォルニア分室秘書募集!」というのを見つけ、半信半疑で応募した。書類選考合格の通知が届いた時、応募したことさえほとんど忘れかけていた。その頃すでに仕事を辞めていて、その後の生活をどうしようかと思いつつ、呑気にコンサート通いしていた。それが6月だった。なのに、記憶に蘇えるどの光景にも、雨は少しも見られない。ちょうど今日みたいに。
ボスはすでにアメリカに居たため、代理人による面接を受けた。その後、国際電話で最終面接。トントン拍子で採用が決定し、ビジネス・ヴィザを片手に2度目の渡米を果たしたのは6月下旬だった。後で聞いたら、200人以上の応募者がいたという。にもかかわらず、私みたいないい加減なのが選ばれたのは、1人だけ浮いていたかららしい。普段着姿の写真を貼り、「好きなスポーツ」欄に「自転車に乗ること」と書いた場違いさが受けたようだ。
ドタン場になっても、何とかなるさ!という甘い考えは、多分その頃に固まったに違いない。