Beat Avenue/Eric Andersen

昨夜遅く、ローカルTVで『ビートニク』が放映された。レンタル・ショップで借りて、すでに見たことがあったけれど、もう1度見てもいいなと思っていた。でも、昨夜に限って珍しく早く寝てしまったし、あえて録画もしなかった。この映画については、以前にも<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=435022&log=20040520">チラッと</a>ふれたことがある。もちろん、私はリアル・タイムのビート世代ではない(それどころか、次のヒッピー世代にさえギリギリで入れるかどうか微妙なところ)けれど、間接的に多くの影響を受けていることは否定できない。シスコ・サウンドカウンターカルチャーの関係を、卒論のテーマに選んだ時も、1つ前の世代のビートニクについてふれないわけにはいかなかった。関連する文献は膨大な量だった。でも、それを読み漁るのは、苦痛どころか、実に楽しいことだった。好きなことを卒論に選べたのも、今は亡きゼミの教授の心の広さのおかげだったと感謝している。
卒論を書き始める1年ぐらい前に、Gary Snyderの詩集『Turtle Island』(ピュリッツァー賞受賞)を、初対面に近いアメリカ人からもらったことがあった。このGary Snyderは、74歳になった昨年、何と、正岡子規国際俳句賞大賞を受賞したらしい。今頃、そんな名前がニュースに上るとは思ってもいなかったので驚いた。でも、考えてみれば、彼の場合、厳密にビート詩人の範疇に属していたかどうか、はっきり肯定することはできない。もちろん、多くのビート詩人と交流があり、共通する部分もあるけれど、早くから自然や環境に眼を向けたり、正式に東洋の文化や言語を学び、それらすべてをライフ・スタイルに取り入れていた彼の姿勢は、単に、ビートという枠だけにははまっていなかった。多分、それが現在の彼の姿にもつながっているのだろう。
一方、代表的ビート作家の1人、Jack Kerouacのトリビュート・アルバム『Kicks Joy Darkness』の参加メンバーの豪華さには驚いた。Allen Ginsberg、William Burroughs、Lawrence Ferlinghettiといった彼の朋友はもちろんのこと、Eric AndersenやWarren Zevon、Patti SmithSteven Tylerなどのミュージシャンに加え、Johnny DeppやMatt Dillonといった俳優陣まで参加し、詩の朗読をしている。手に入れないわけにはいかなかった。
ところで、今日のタイトル・ソングは、Doobiesの「Neal's Fandango」でもよかったのだけれど、それが収録されている『Stampede』あたりから、あまり彼らを聴かなくなったので、あえてパスした。