Summer Of Love/Jefferson Airplane

Chet Helmsが亡くなった。現地時間で6月25日午前零時35分。情報源は、おなじみJeff Tamarkin。数日前から危篤状態だと言われていた。まだ62歳だった。「Summer Of Loveの父」とも呼ばれたChet Helmsは、シスコの音楽組織、Family Dogの中心人物でもあり、また、Janisをテキサスから連れて来て、Big Brother&The Holding Companyの結成に一役買ったことでも有名だ。つまり、Bill Graham同様、当時のベイエリアの音楽シーンにはなくてはならない存在だった。
この2人の出会いについては、Tamarkin氏の『Got A Revolution』でも述べられている。66年に、Grace Slickが在籍していたGreat Societyの初代及び2代目マネージャーの2人と業務提携を結んだChetは、Bill Grahamのもとに出向いたという。用件は、Billが経営するフィルモアが空いている時に、自分達にも使わせてもらいたいというものだった。結局、Billが財政面を受け持ち、Chet達がアーティストと出演契約を結んだり、ライトショウを含むステージ演出をすることになった。当時、直接顔の利くバンドといえばJAだけだったBillにとって、その試みがはたしてうまくいくのかどうか、不安だったという。ところが、顔の広いChetにしてみれば、そんな心配は無用だった。ただし、その協同体制も束の間にすぎなかった。ビジネス面の方向性の違いから、2人は折り合わなくなり、結局、Chet自ら、アヴァロン・ボールルームを開くことになった。アヴァロンとフィルモアの違いといえば、前者は、ライヴの後もその場に残りたい雰囲気を醸し出しているのに比べ、フィルモアは、終わったらさっと立ち上がって帰ってしまうというものだったと言う人もいる。要するに、一方は、文化的交流の場とすら思われ、「たまり場」的存在となったのに比べ、もう一方は、ただの「箱」にすぎなかったということだろうか。それでも、ただ、ロックに合わせて踊りたいだけのお客にしてみれば、どちらでもよかったという説もある。
結局、アヴァロンにJAの出演が決まった時、Billは猛反対し、やがて彼自身が、JAの2代目マネージャーとなったことをきっかけに、JAは2度とアヴァロンに出演しないこととなった。そして、その後のフィルモアとBillの繁栄ぶりを考えると、少なくともビジネス面において、Billのやり方が成功したことになる。それでも、「絵に描いたようなヒッピー」そのものだったと言われるChetが残した精神面での功績は大きい。
タイトル・ソングは、最盛期のJAとは似ても似つかない(とあえて言う)再結成JAのアルバムより。