Broken English/Marianne Faithfull

前から何度も書こうと思いながら、タイミングを逃していたことがある。
私に関して誤解されがちなことの1つに、英語を自由に操れると思われているという点がある。仕事で数年間滞米生活を送っていたから、そう思われるのだろう。でも、大きな間違いだ。日本人のボスの下で、ほとんど1日中部屋にこもって、本の執筆を手伝っていただけなので、外に出て英語を話す機会なんてほとんどなかった。電話の応対も、もっぱらお手伝いさんがしていた。そのお手伝いさんというのも、本職の人ではなかった。アメリカで生活したいがために「何でもします!」と言って雇われ、必死で家事を覚えたらしい。元の職業は舞台女優で、文学座を卒業した後、某アングラ劇団に所属していた。フォーク・グループで歌っていたこともある。私よりかなり年上で、私とは比べものにならないほどの映画マニアだった。何しろ、日本にいる頃は、年間に軽く数百本は見ていたという。その上、演劇やミュージカルにも詳しかった。そんな彼女は、渡米前は英語は一切ダメだったという。でも、滞米中にオーラル英語はかなり上達していた。それに比べ、私は、元々読み書きは何とかできたし、仕事上、英語の資料を集めたり、訳すことは多かったにもかかわらず、聴いたり話したりする機会はほとんどなかったせいで、数年間滞在しても、ろくにしゃべれないままだった。
機会に恵まれなかったという以外に、もう1つ大きな理由として、性格的な問題が考えられる。日本語をしゃべる時でさえ、一対一ならまだしも、3人以上になると、一体どこで口をはさめばよいかわからず、急に無口になってしまう。英語を話す場合、それがさらにひどくなる。相手が1人の時は何とかなるのに、それ以上だとどうにもならない。おまけに、無意識に、文法的に完璧な文章でしゃべろうとするので、とっさに組み立てられない場合、中途半端な表現でごまかすぐらいなら、口をつぐんだままの方がましだと思ってしまう。その様子を周囲から見ると、何もしゃべれないのと同じに見え、実にみっともない。
ただし、お気に入りのミュージシャンと話す時だけは、いつもより少し気合いが入る。それでも、緊張して言いもらす恐れが存分にあるので、予め、伝えたいことをびっしり書いた手紙を渡すという、姑息な手を使うことが多い。そうなると、話が弾みやすい。
タイトル・ソングのように、たとえブロークンでも気にせず、平気でどんどん口から出せるような物怖じしない性格だったなら、今頃、もう少し何とかなっていたのに・・・。