Down To The Waterline/Dire Straits

1日遅れて妹や弟も帰省したので、残った雑用や留守番を手分けしてすることになった。その合い間に、念願の(というほどでもないけれど)海岸の方へ行ってみた。すると、今年の初めに訪れた時とすっかり様子が変わっていた。鮮やかなブルーの巨大な物体が砂浜を這っている。遠くから見ると、大きな船が打ち上げられたかのようにも見える。でも、そんなはずがない。写真に収めようとしたけれど、横に長すぎて構図がうまくとれない。後で聞いたら、何と巨大ビーチハウスだった。今年から、そのあたり一体が海水浴場として一般公開されるようになり、それに伴って、ビーチハウスも設置されることになったらしい。そして、シーズンが終わると取り払われるとのこと。しかも、名称まで、それまでの「○○浜」から、「○○ビーチ」と変わっていた。へ〜え、そうなんだ。そういえば、話は脱線するけれど、大阪南部には、「ピチピチ・ビーチ」や「ときめきビーチ」なんていう、ふざけた名前の海水浴場がある。初めて道路標識でそんな名前を眼にした時は、まるで冗談かと思い、思わず我が眼を疑った。
さて、その新しくできた○○ビーチが、長期にわたって海水浴場として使われていなかった理由がよくわからない。市内に住む人が泳ぎに行くといえば、そこからほんの少し(せいぜい数十メートルから100メートル程度)離れた場所を、暗黙のうちに選ぶか、あるいは、町外れの海岸まで足を延ばしていた。○○ビーチが取り立てて汚いわけではなかったし、遊泳禁止でもなかったけれど、それよりもっときれいな場所が多かったので、そっちを選んでいたということなのだろうか。東京や大阪での暮らしを長らく体験すると、自分がいかに自然に恵まれた所に住んでいたか、よくわかる。実際、その○○ビーチに隣接した駐車場には、県外からの車が数多く停まっていた。早くも、新たな穴場ビーチとなったのかもしれない。
浜辺から堤防を越えたところにある噴水や、ブランコやすべり台などのある公園、さらには、小さな野外ステージのあるスペースは今もそのままだった。図書館に続く松林の小道だけは、松の木がかなり切り倒されて、見通しが明るくなっていた。小・中学生の頃は、この付近一帯を頻繁に訪れたものだった。季候の良い時期には、砂浜に下りてテトラポットに腰かけ、何時間もおしゃべりに熱中した。泳ぎには使われていなかったけれど、散歩や憩いの場として、みんなから重宝される浜辺だった。それが、突然、「ビーチ」とは・・・。何だか素直に喜べないものがある。