リラの祭り/ザ・タイガース

意識の上で、「お祭り騒ぎ」は好きなくせに、実際は、人ごみが苦手なため、見物客が多く集まるお祭りには、さほど興味はない。それでも、家のすぐ近くで見物できるというのなら、話は別。午後3時前に、自転車で数分足らずの賀茂川沿いにある賀茂街道に向かった。そう、今日は引越してきた京都の3大祭の1つ、葵祭の日。御所を出発し、上賀茂神社に向かう平安時代の装束を身にまとった人々の行列が通過するその旧街道は、駅から不便なところにあり、穴場の見物スポット。
それでも、いつのまにか、付近の人々がゾロゾロと集まり、早めに場所を確保していた私の前を、平気で塞ぐ。大阪から京都に移っても、爺婆の図々しさに変わりがないことを知って、思わず苦笑。その上、予定の時間になっても、行列の姿が見えないので、気の短い私は、そこに来たことを少し後悔した。やはり、慣れないことをするとロクなことがない。キレそうになる気持ちを抑え、どうにか最後まで持ち堪えようと必死だった。
1時間ほど続くと言われた行列は、意外に短く感じられた。おまけに、行列の大半がアルバイトの若者のせいか、茶髪が目立ち、せっかくの平安装束が台無し。若者の茶髪だけでなく、メガネをかけた大人の姿も興醒めだった。「コスプレ(?)の極意」は、「徹底的にその対象物になりきること」なのだから、もっと時代考証を徹底するべきだった。
とは言え、それぞれの装束の日本古来の伝統色の、柔らかで奥の深い美しさに、しばし見惚れてしまう。一見よく似ていても、その微妙な色調の差によって、1つ1つ<a href="http://www.colordic.org/w/">違った名前</a>がつけられていて、ざっと見回しただけでその数400種を超える。色彩そのものだけでなく、それぞれの響きも美しい。人口着色料で染めたような、デリカシーのかけらもない原色の花を見かけると、わけもなく不愉快になるのとは大違い。伝統色を眺めているだけで、トリップできる。
そんな気分のままで、すぐに帰宅はせずに少し自転車を走らせ、初めて訪れたCDショップで掘出物を3枚見つけた。その中の1枚が、Robert Hunterの『Amagamalin St.』。CipollinaとJormaが参加しているというのに、これまで、手に入れそびれていた。今頃、こんな近くで見つかるなんて・・・。
お祭りつながりのタイトル・ソングは、タイガースの隠れた名曲で、『ヒューマン・ルネッサンス』に収録されている。葵祭の行列の参加者すべてが、葵の葉を身につけると言われているけれど、リラの祭りなら、当然、リラの花を髪に飾る?