Maybe I'm Right/Linda Ronstadt

4年に1度のファンにすぎない私が何と言ったところで、ミーハーの戯言にすぎないと思われるかもしれないけれど、それにもめげず昨日の続き。
私は、にわかファンを自認しているからこそ、今回の事件については、できるだけ多くの情報を細かくチェックして、偏った見方にならないように努めた(たとえば、Materazziは、確かにラフ・プレイで有名だけれど、人種差別反対運動に積極的に取り組んでいるとか、亡くなった母親や、家族を大切にしているとか、そういったことも)。皮肉なことに、そうすればするほど、公共の電波に乗った多くの発言の矛盾点が眼につくようになり、憤りと同時に、「どうせ、世の中はこんな風に回っているんだ」と、あきらめにも似た思いにとらわれた。
そしてもう1つ、興味深いことに気づいた。Zidaneを妄信的に擁護する人の中に、私以上にサッカーを知らない人が多いということ(きっと、その多くは、4年前にはBeckhamに大騒ぎしていたんじゃないかと思う。要するに、マスコミに流されやすい人たち)。「Zidaneのようなすごい選手が、あんな行為に出るほどなのだから、よほど酷いことを言われたに違いない」というのが、彼らの言い分。これまで何度も彼に暴力行為歴があることぐらい、私でも知っているのに、彼らは、そんなことさえ知りもしないらしい。
その逆に、サッカーに詳しい人や、サッカーに限らず、これまで、何らかのスポーツ経験のある人たちは、ピッチ上で交わされるかなりきわどいヤジを、スポーツには付き物として容認し、それを踏まえた上でZidaneの暴力行為を「あってはならないこと」としていた。そりゃそうだろう。でも、たまたま、それがスーパースターの仕業で、しかも引退試合なのだから、ついみんなで肩を持ってしまうのは、ある程度やむをえない。でも、あることないことまでさんざん言われて、挙句の果てに「人種差別主義者」の濡れ衣を着せられたまま、放りっぱなされた人の立場はどうなるんだろう?
スポーツ界のスーパースターを神格化してしまうのは、特に、日本でよくあることで、それについては、常々疑問を抱いていたけれど、世界的にもそれがまかり通っているなんて・・・。
こうしている間に、ついにFIFAの裁定が下りた。ちょっとスッキリしない結果となったけれど、それより問題なのはマスコミ。あれほど言いたい放題言っていたのに、訂正も謝罪もない。Materazzi側にしてみれば、名誉毀損で訴えることもできるのではないか。
ああ、1000文字なんて、あっという間!まだ書き足りない。