Mr. Bad Example/Warren Zevon

起床時から喉が痛い。乾燥が原因で一時的にそうなることはよくある。今日もそうだろうと思っていたら、いつまでたっても治らない。声を出すのが辛いけれど、まだひと言も発する必要のないまま、夕刻にさしかかっている。はたして、これを幸いと思うべきか否か?
昨日、思いの外早く届いたWZのバイオ『I'll Sleep When I'm Dead : The Dirty Life & Times Of Warren Zevon』は、まだ20数ページしか読んでいない(つまり、今日はまだ眼を通していない)けれど、思った以上に面白い。著者は、元妻Crystalで、2人は離婚後も友人として交流があり、この本の出版も、彼自身の依頼によるものだったという。そのため、手書きのメモや日記の一部、それに、これまで見たことのない数多くの写真まで、気前よく紹介されている。
また、筆者が一人称で語り続けるのではなく、家族や友人、関係者の言葉をそのまま引用したコメント形式になっているため、とても読みやすく、また、臨場感もある。
亡くなったその日から始まり、その後、ロシア移民の祖父の時代に一気に遡り、そこから時系列に従って話が進められているというのも、わかりやすくてありがたい。
生前親しかった作家の前書きによると、この本が出版されると、その後、WZについてどんなことが書かれようと、誰も驚きはしないだろうという。つまり、この本には、本来ならふれずに隠しておきたい事実まで明らかにされている(ただし、暴露的なものとはニュアンスが異なる)というわけで、それが納得できるようなエピソードが、亡くなったその夜のJordan(WZの息子)のコメントの中に、いきなり見つかった。
Jordanは、身内や友人がその場を去った後、亡き父に頼まれていた通り、部屋の整理を始めた。「ポルノを処分してくれ。」と言われていたからだった。せいぜい、どこかのアダルト・ショップで手に入れたものだろうと、高を括っていたのに、出てきたのは、父本人が映っているものだったという。WZは、自分の死後、こういったことさえも隠さずに伝えてほしかったということなのだろうか?それなら、いっそ、その映像まで公開すれば?という気もするけれど・・・(冗談)。
これまで広まっていた情報に、誤りがあることもわかった。同一人物と言われることの多かったTule Livingston(Jordanの母親でWZの最初の妻)と、Lyme & CybelleのViolet Santangeloが、実は別人だった。
まだ読み始めたばかりで、この先、何が出てくるかわからない。それぞれのアルバムについて、どんなエピソードが登場するかというのも、大いに楽しみにしている。

Amazon - River Of Dreams/The Band

Gurfモードがまだまだ続く中で、別件でとても腹立たしいことがあった。
それは、ネット・オーダーのトラブル。
前から書いているように、人一倍貧乏な私は、いつも、できるだけ安くCDを手に入れたいと思っている。ただし、よほどの例外を除き新品で、しかも、なるべく早く!というわがままな希望も伴っているので、その都度、どの業者を選ぶのが最適かチェックするのに躍起になっている。
今回の場合、2月半ばに数枚まとめて予約注文し、その後、少しずつ追加していくうちに、気がつけば8枚になっていた。もちろん、中には新譜でないものも含まれている。8枚中、発売予定日が一番遅いのが、Warren Zevonの未発表曲&テイクを集めた『Preludes』で5月1日。つまり、全ての発送が、それまで待たなければならないことになっていた。
ところが、不思議なことに、3月中旬に発売間もないJormaの『Stars In My Crown』が単独で届き、先月末のGurfのライヴに間に合って、『Diamonds To Dust』が、これまた単独で届いたのは、すでにここにも書いた通りだった。2度にもわたる予想外の粋なはからいを、素直に喜んだのは言うまでもない。
だからといって、5月1日発売予定のアルバムの発送が、都合で6月下旬になるなんて、許されるはずがない。最初、そのショッキングな通知が届いた時、てっきり、発売日そのものが延期されたのだと解釈した。ところが、そうではなかった。同系列の国内のショップに注文した人たちのところには、すでに「発送済み通知」が届いたということを知り、あきれかえった。レストランの予約をしていたのに、無視されて、一番最後の列に並ばされるような、どうにも納得のいかない怒りと悔しさだった。それで、昨夜、長々と(そのくせ、所要時間は5分程度)苦情を書いた。どういった表現を用いれば、最も効果的に、この怒りと失望が伝わるかということを考えながら・・・。今にして思えば、夜中だったので、テンションが相当上がっていた。
その返事が、先ほど届いた。驚くほどの平謝りぶりで、ただちに発送するという。しかも、通常の航空便ではなく、わざわざ速達便で。それだけではない。迷惑をかけたお詫びに、次回注文時に5ドル分の割引までしてくれるという念の入れようだった。
これにて一件落着?そうではない。未だに理解できないのは、最初に届いた通知。予約商品の発送が、発売日から6週間以上遅れるということになった理由については、一切ふれられていない。そして、苦情1つでこんなにも態度が変わるなんて、ありがたいけれど、不自然でもある。

People Have The Power/Patti Smith

これまで、カタギの生活にはほとんど縁がないので、ゴールデン・ウィークというものを実感したことは1度もない。数年間、怪しげな(?)会社に勤めていた頃でさえ、連休中は休日出社を買って出て、世間が再び仕事モードに切り替わる頃、ゆっくり代休を取っていた。田舎より都会が好きなくせに、人ごみが大の苦手というわがままな性格の私には、このシステムはありがたかった。
ビンボーな自由業となってからは、カレンダーなんてあってないのも同然で、この時期も普段と変わらない生活をしている。外に出て、急に人の数が激増しているのを見てようやく、いつもと違うことを体感する。
昨日は、先週から続いているGurfモードを、一時的に切り替えるために、頂き物のPatti Smithの映像を見た。3月に行なわれたロックの殿堂入りセレモニーでのスピーチとライヴを収めたもので、色々な意味で興味深かった。そもそも、動いているPattiをじっくり見るのは、フジ・ロックの映像以来、何年ぶりだろうか。
さて、ロックの殿堂については、<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=435022&log=20040912">3年前の日記</a>でも少しふれた通り、色々と批判も出ている。
そんな中、舞台のソデで待機している時からすでに感極まって涙ぐんでいるPattiの姿は意外だった。ドレスアップしたゲストに向かって、ステージから涙まじりに語り始めるその様子は、これまで、彼女に対して勝手に抱いていたイメージとはあまりにも違いすぎて、最初は大いに戸惑った。
それでも、亡くなった両親や夫、弟をはじめ、自分の周囲の人々に感謝の言葉を述べた後、この「ロックの殿堂」が、貧困にあえぐミュージシャンを救済する基金を設立していることを、声を大にして伝える姿を見ていると、彼女が決して長いものに巻かれているのではなく、単に、とても素直で正義感にあふれる人だということが、はっきりと感じられた。
Mick Jaggerに負けない迫力の「Gimme Shelter」と、「Because The Night」の熱唱の後、亡き母とのエピソードを切々と、かつ、お茶目に語りながら、その母が大好きだったという曲を歌い始めた。何とそれは「Rock'n' Roll Nigger」!
彼女が、亡き母や夫から、「Patti」ではなく「Tricia」の愛称で呼ばれていたことを、その時初めて知った。彼らの口真似をして、「Tricia」と甘く発する時の彼女のかわいらしさといったら!
これまで、「クールでカッコいい」というイメージの強かった彼女の別の一面(案外、こちらが本当の姿に近い?)を垣間見たようで、うれしくなった。

Blanket/Gurf Morlix

ライヴから深夜の帰宅後、何だかんだといううちに朝の4時になっていた。高揚していた気持ちが少し治まると、急に寒気が戻ってきた。実は、朝から風邪気味だった。
まるで真冬並みのフル装備にもかかわらず、寒くて寒くて、なかなか寝つけず、ちょうど、今日のタイトル・ソングのように、毛布がもう1枚ほしかったほど。
結局、目覚めるのも早かったのに、正午前まで起き上がれずにいた。悪寒以外の症状はまったく出ていないけれど、今日はおとなしく家にいよう。
さて、昨夜のGurf Morlixのライヴは、京都ではカントリー、大阪ではブルーズが中心になるという噂を直前に耳にしたため、ブルーズ好きの私は大きな打撃を受けていた。そして、京都をやめて大阪に行くべきかと、ギリギリまで悩んでいた。結局、最初の予定通り京都を選んだけれど、事前のそういった危惧は、まったく見当違いの馬鹿げたものだった。
最初のセットは、アコースティック・ソロ。数年前に亡くなった友人の病床で歌ったという「Will The Circle Be Unbroken」が、数曲目に始まった。予想外だった。多くの人に歌われているこの曲に対し、これまで、さほど思い入れがなかった。せいぜい、サビの部分のメロディと歌詞を覚えている程度。ところが、Gurfがとてもインパクトのある声で歌い始めると、その1語、1語が、はっきりと伝わってきた。「へ〜え、こんな内容だったんだ!」とその時初めて認識し、涙がにじんできた。ライヴに臨んでここまで感情を揺さぶられるなんて、一体何年ぶりのことだろう?
そして、この後どうなるのやらと思いやられた。案の定、今は亡きWarren Zevonと、元ローディのChris Slemmerを歌った「Blanket」が始まる前に、長いコメントが語られている間に、すでににじんでいた涙が、さらにあふれて止まらなくなった。歌が始まると、もう大変。周囲の人に気づかれないように、必死で拭うしかなかった(その涙は、ライヴ終盤にまた復活)。
2部は、地元関西のWednesday Music Clubをバックに従え、バンド編成となった。見事に馴染んだ演奏は、たった1度の音合わせだということが信じられないほどだった。結局、<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=435022&log=20070422">大好きなニュー・アルバム</a>の全曲が聴けた上、「Milk Cow Blues」まで演ってくれたのだから、出かける前に不安を感じていた自分が、ひどい罰当たり者に思われた。
終了後、いつものシャイな性格が災いして、「Blanket」で泣いたことを伝えるだけで精一杯だったのを、とても残念に思う。

Killin' Time In Texas/Gurf Morlix

ライヴの前に、そのミュージシャンのアルバムを集中的に聴いて「予習」するという律儀さなんて、私にはこれっぽっちもない。これまで何度も、そう書いてきた。Gurf Morlixのライヴまで1週間を切った今も、そのつもりだった。
それで、彼のニュー・アルバム『Diamonds To Dust』も、あせって注文したりせず、価格や送料を考慮して、最も安上がりになるネット・ショップに一括発送を頼んだばかりだった。もちろん、到着が来月になってもやむをえない、と納得しながら・・・。
ところが、先月のJormaの<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=435022&log=20070319">『Stars In My Crown』</a>と同じく、このアルバムもまた、昨日、なぜか優先的に単独で届いたので驚いた。
ひょっとすると、これは「ライヴの前にぜひ聴いておきなさい!」という神様の思し召し?私は運命論者ではないけれど、つい、そう思いたくなるほどのタイミングの良さだった。
それにしても、さも詳しく知っているかのように、このところ「Gurf! Gurf!」と騒いでいるけれど、彼を聴くようになったのは、ほんの2年前から・・・。ちょっと興味をもって、『T★ad Of Titicaca』と『Fishin' In The Muddy』を聴いてみたのが、そもそものきっかけだった。特に後者は、アルバム・タイトル曲を中心に、私のツボをとらえただけでなく、ジャケット(特に、裏)に写ったGurfのカッコよさは、私のミーハー心を大いに刺激してくれた。
ところが、次に出た『Cut'n Shoot』は、好みの路線からかなり外れたサウンドとなっていたため、今回のニュー・アルバム情報を得た時も、やや不安だった。幸い、試聴段階でその不安は一掃された。不安どころか、最初の2作以上にハマりそうだった。そして、実際に届いたものを聴いてみると、それはさらに明らかだった。
前作とはうって変わって、暗く、重い音は、まさに私が求めるものそのもの!それと同時に、今もなおリスニングを苦手とする私の耳にさえ、いやおうなしに入り込もうとする彼のメッセージ。歌詞カードがついていないので、現時点で完全に聴き取ることは不可能だけれど、彼もまた、いくつかの曲で死について歌っているのがわかる。今は亡きWarren Zevonに捧げる曲や、2年前のハリケイン・カトリーナを歌った曲もある。
こうなると、ライヴがますます楽しみになってきた。すでに終わった広島のライヴでは、「ボトルネック」どころか、ビール瓶を丸ごと当てて弾く「ボトル奏法(?)」まで披露したという。はたして、京都でも見られるんだろうか?

I'llLetYouKnowBeforeILeave/Jorma Kaukonen

年末年始以来、約2ヶ月ぶりに帰省することになった。ここ数年、色々と複雑な事情で、年に10回近く帰省しているけれど、今回の用件もまた、うまく対処できるかどうか、まったく予想もつかない。
それは、実家の引越。市の道路拡張計画に、ちょうど実家付近も含まれていて、とりあえず全部更地にし、数十メートル離れたところに、新たに家を建て直し、移転することになっているらしい。この計画は、まだ父が健在の頃から噂されていたけれど、去年ぐらいから具体的な話が進み、ついに我が家も移転の用意にとりかからなければならなくなった。たかが引越ぐらい・・・と思われるだろうけれど、「物が捨てられない」という私の困った性格は親譲り。実家にも、曾祖父の時代からの種々雑多なガラクタが溢れている。今にも壊れそうなボロボロの家だけど、部屋数だけは馬鹿馬鹿しいほど多い上、今や、そのほとんどが「物置化」しているため、そこに放置された物の数や量はハンパではない。しかも、現在、そこに住んでいるのは母だけなので、とてもじゃないけれど、彼女1人で荷物の整理ができるわけがない。それで、私と妹と弟が、時間の空いている時に、実家に残したままの私物の整理から始めることになった。
実家から徒歩わずか数分のところに、父の生家も残っていて、そこは、私達が帰省中のねぐらにする以外、普段は誰も使っていない。それだけあれば、母1人には充分だと思うのに、実家を潰した後、わざわざ、新たな場所に新居を建てると言い張っている。父も生前にそう希望していたというので、もはや、私達が何と言っても無駄だろう。
それにしても、今や、「開かずの間」同然の私の部屋を整理するだけでも大変なのに、残りの部屋を、一体、どうやって片付けていくべきか?と考えただけで憂鬱になってくる。物だらけの引越が、いかに大変なものかということは、1年余り前に、自ら、身をもって体験している。あの時は、3DK分の荷物をチェックし、まとめるだけでも死ぬ思いだったのに、今度は、その5倍ぐらいあるのだから、気が遠くなってくる。そういえば、何年も閉じられたままで、今ではネズミと猫のお城になっているといわれる蔵の中には、一体、誰が、どうやって潜り込むというのだろう?
神経質さと楽観主義的な性格を併せもつ母は、一連の件に関しては、ずいぶん気楽に構えているので、私や弟の方があたふたとならざるをえない。父のもとに嫁いできて以来、何十年も同じ場所に住み続けている母には、引越の過酷さが想像もつかないに違いない。ああ、気が重い。

She Moved Through The Fair/The Pentangle

京都在住1年余りの身では、学生時代にここで4年間過ごした妹にすら及ばない。それで、まだまだ「お上りさん」と開き直り、行く先々でキョロキョロしている。
今日も、先週の「囀市」に引続き、上賀茂神社の手作り市を覗きに行った。第4日曜日に行なわれることは知っていたけれど、朝早く出向かないと面白くないと聞いていたので、寝坊の私は、ほぼあきらめていた。ところが、今回は、たまたま夜中に大雨が降った上、有名な北野天満宮の天神市(毎月25日)と重なっているため、いつもよりお客の出足が遅いに違いないと睨んで、初めて足を運んでみることにした。
雨は午前中に止み、コートが要らないほどの陽気だった。それでも、日陰はぬかるみだらけで、履いていたブーツが泥だらけになった。そんな時、ふと思い出したのが、あのウッドストックの翌日に、JAのメンバーと共にTV番組に出演したStephen Stillsのことだった。「ウッドストックの会場から、そのままやって来たから、ブーツがこんなに泥だらけなんだ」と言っていた。そういえば、昨夜オンエアされた「Super Show」にも、彼は出演していたっけ。
おっと、話が脱線。肝心の手作り市は、予想より小規模だったとはいえ、囀市の何倍もあり、あちこちのお店で気前よく勧められる試食をしているうちに、お腹が一杯になってきた。それで、結局、買ったのはベーグル3種セットと、メレンゲを焼いたクッキー、それに、5cmぐらいのミニチュア・テディベア(2個で\160という安さ!)だけ。
こんなところでは、実際に買う楽しみより、あれこれと物色する楽しみの方がずっと大きい。もちろん、物色の結果、掘出し物を見つけた時の喜びは、さらに何倍にもなるけれど。
とにかく私は、内外問わず、こういった市やフリーマーケットなどに、まったく眼がない。機会があれば足を運び、覗き回っているだけで、気分が高揚する。
そんな中で、もう1度ぜひ行きたいのは、ロンドンのポートベロ・マーケット!雑貨好きの私には、たまらない所だった。そしてもう1箇所は、初渡米した時、連れて行ってもらったルネッサンス・フェア。その名の通り、まるでタイムスリップしたかのように、出店者全員が、当時を偲ばせるコスプレをして手作りの品を売り、一帯が中世の村と化していた。全米各地で、似たような催しが行なわれているらしいけれど、私が行ったのは、おぼろげな記憶によると、ノヴァトだったように思う。当時は、全然、意識しなかったけれど、これって、あのNovato Frank Bandのご当地のことなんだろうな。そう思うと、なおさらもう1度行きたい。