Just A Dream(On My Mind)/Muddy Waters

これを書くべきかどうか、しばらく悩んだ。話を蒸し返すことにより、再び同じことが起こるのは、絶対に避けたいから。でも、冷静に分析して、恐怖心を取り除くという手もあるので、あえてそれに賭けることにした。
事の次第はこうだった。昨夜、眠りに就いて数時間後、ふと眼を開けると、足元の向こうの窓際に、何かがうっすらと見えた。窓は北向きで、雨戸を15cmぐらい開けていたので、窓ガラスとカーテン越しに薄明かりが洩れていた。そして、その手前に、人間の形をした影が、左から右に向かって動くのが見えた。
「ゆ、幽霊?」とっさにそう感じ、「キャーッ!」と叫んだつもりなのに、その反響が耳に入ってこない。「幽霊」と思しきものは、寂しそうな様子の、50代半ばくらいの男性で、昭和中期の古めかしさが感じられた。
これまで、動物的な嗅覚や直感の鋭さは自覚していたけれど、霊感はせいぜい人並み。時たま、何らかの気配を感じることはあっても、実際にあるはずのないものを見たことは、ただの1度もなかった。
いや、厳密には、2、3度、どちらとも言い難い経験をしたことがある。でも、そのたびに「これは夢!」と自分に言い聞かせることで、必要以上にパニックに陥るのを避けていた。
だからこそ、今回も、必死でそうしようと努めた。そもそも、自分の叫び声が聞こえないなんて、夢に決まっている。でも、その一方で、大声を出した後によくあるように、喉が枯れているのが感じられた。
そういえば、学生時代、休暇で帰省中に自分の部屋で寝ている時、上半身だけが、ちょうど直角にベッドから起き上がるのを自覚した。その瞬間、とっさに眼を閉じた。なのに、閉じた瞼越しに部屋の中の光景が映った。その時も、「これはきっと夢!」と言い聞かせた。ところが、「夢ではないぞ!」という、重く、低い声がどこからか聞こえてきた。実際に耳に入ってきたのではなく、テレパシーで伝わってくるような感じだった。
もしそれが現実の出来事だったなら、あまりにも怖い。だから、決してそう思わずに、夢を見ていたことにして片付けている。
ただ、この件に関して、どうしても腑に落ちないことが1つある。実は、翌朝眼覚めると、手足の数箇所が、不自然なアザのように青くなっていた。これもまた、寝ている間にベッドの角にでもぶつけたことにしておきたい。でも、私の寝相は決して悪くないし、それまで、就寝中にそんな経験は1度もなかった。
それでもやはり、その時のことも、昨夜のことも、ちょっと手の込んだ夢ということにしておきたい。でなきゃ、やってられない。

Fireflies/Patti Smith

数時間前、突然、PCがおかしくなった。OEとIEのどちらも、まったく動かない。いったん終了させようとしたけれど、その操作すらできず、強制終了せざるをえなかった。それでも、もう1度立ち上げるとどうにかなると思ったのに、見慣れぬメッセージが出た後、また同じような結果となった。PCトラブルと体調トラブル(体温が37度を超えただけで、死にそうになる)には滅法弱いので、ただオロオロするしかなかった。
やむをえず、1時間以上経ってから、かすかな望みと共にもう1度起動させてみると、今度は、何事もなかったかのようにあっさり動いた。でも、あまり楽観視できないかもしれない。
さて、この数週間、気になってたまらなかったことを、昨夜、思い切って実行に移してみた。それは、今日のタイトルから察せられる通り、蛍見物!
自転車で数分の上賀茂神社のせせらぎで見られるという、うれしい情報を得ていたけれど、日没後に外出するのは好きではないので、迷いに迷っていた。でも、この機会を逃すと、来年まで見られないと思い、9時過ぎに、懐中電灯片手に家を出た。意外にも、鳥居前の駐車場には昼間と同じぐらい車が停まり、家族連れやカップルの他に、観光客風の人たちの声まで飛び交っていた。私のように、近所から1人でフラっと来ている物好きは、少ない気がした。
夜の神社は、持参した懐中電灯で足元を照らさないと、木の根につまづいてしまうどころか、せせらぎにはまってしまいかねないほど真っ暗だった。神社ではなく墓地だったなら、怖すぎて足がすくんだに違いない。そう思っている間に、前方で何かが光った。実は、私が宙に舞う蛍を見るのは、これが生まれて初めてだった。幼少の頃、すでに家の近所には、蛍が住めるような自然は残っていなかった。たった1度、遠くに住む親戚が、つゆ草の葉と一緒に虫かごに入れて、わざわざ持ってきてくれたのを見た記憶しかない。
水際を飛ぶ蛍は、虫かごの蛍の何倍も明るかった。1匹ずつ、まばらに姿を見せるだけだったのに、それぞれが、驚くほど強い光を放っていた。
足場が悪く、歩きにくかったにもかかわらず、夢中になって、せせらぎ沿いにどんどん奥に進んでいった。驚いたことに、懐中電灯の光に誘われて、ちょっと間抜けな蛍が1匹、近寄ってきた。そして、何と、私のスカートの裾にとまって、しばらく動こうとしない。それはちょっと困るので、傷付けないようにして追い払った。
神社を出た後、外の水路沿いに自転車を走らせていると、そこでも1匹だけ光っていた。何だか、ウキウキした気分のまま家に着いた。

21st Of June/Al Rose

昨日、久しぶりに日記を書き上げるため、夜になってもPCをつけたままでいたら、うっかり悪い癖が出て夜更かししてしまいそうになった。それでも、その誘惑を何とか断ち切って、1時過ぎには終了することができた。おかげで、今朝も寝坊せずにすんだ。
それで、すっかり気を良くして、真昼間から梅酒をすすりながらこれを書いている。といっても、ただの梅酒ではない。何と、自家製の10年物!かつて、大量に作ったのはよいものの、途中で飽きて、何年も放置したままになっていた。それでも、1年半前の引越しの際、持ち前の貧乏性のせいで、捨てることもできず、そのまま運んできた。甘味を極力抑えているので、ホワイト・リカーが強烈に鼻にくるけれど、しばらくグラスに注いだままにしておくと、とても飲みやすくなる。10年物とは思えないほどあっさりとして、ストレートでいくらでも飲める。
ところで、10年前の自分が、一体何をしていたのかといえば、当時も今も、ひどく貧乏だということを除き、ほとんど記憶にない。唯一覚えているのは、Hot Tunaが来日して、JormaとJackに再会できたことぐらい。当時は、まだネット環境も充分ではなく、情報にも、音楽にも、ひどく飢えていた。そんな中で、Tunaを観られたのは、画期的なことだった。
さて、♪Ten years ago〜♪で始まる曲といえば、<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=435022&log=20040414">「Long Black Veil」</a>で、The Bandをはじめ、多くのミュージシャンがカヴァーしている。4月に来日したGurf Morlixも、横浜のライヴで歌ったという話を聞いて、ひどくうらやましく思ったものだった。
そんな名曲を、何と、まもなく来日するAl Roseも、10数年前のデビュー・アルバムで取り上げていたことを知った(同じアルバムで、彼はBuffalo Springfieldの「For What It's Worth」までカヴァー!)。
自分の好きな曲をカヴァーしてくれるミュージシャンに対しては、親近感がグッと増す。当然のことながら、彼に対するそれも大幅にアップした。早速、CD Babyで、これまでに出た4枚のアルバムを試聴してみると、予想以上にツボにはまりそう。それなのに、皮肉にも、彼のライヴ・スケジュールが、私の帰省スケジュールと重なってしまう。このタイミングの悪さ!
ところで、1日だけ早いタイトル・ソングを、偶然にも、彼の2ndアルバム『Naked In A Trailer』の中で発見し、思わず拝借せずにいられなかった。といっても、残念ながらこの曲を試聴することはできなかったので、どんな内容なのかわからないけれど・・・。

Trouble Waiting To Happen/Warren Zevon

気が付けば、1ヶ月近く日記が滞ったままになっていた。比較的書きやすいmixi日記さえ、すでに2週間近く放置したままになっている。こんなことは初めてだと思う。サボっていたわけではない。書かなかったのではなく、書けずにいた。
先月下旬から、<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=435022&log=20070221">実家の引越し準備</a>のため1週間近く帰省し、その後、自宅に戻ってゆっくり落ち着くヒマもなく、まとまった仕事が始まった。途中、体調不良でダウンもした。それだけではない。その前後に、この前も書いたように、未だにサッパリ理解不能なトラブルにも巻き込まれてしまった(不幸中の幸いで、ちょうどその時の私は、そんなくだらないものに、いちいち付き合っていられるほどヒマ人ではなかったけれど)。
そんなこんなで、これほどまでにブランクが続いてしまった。
仕事の方は、先週、どうにか終わったけれど、その後、すっかり脱力感に襲われて、何もする気になれずにいる。それに伴い、この日記もなかなか更新できないままになっている。
そんな中で、何年も続いていた不健全なフクロウ生活を改めるには、何が最適か考えてみた。私の場合、夜中にネット・サーフィンしないことが一番だということに気付き、早速それを実行し始めた。すでに2週間以上継続し、人並みに近い早寝早起き生活に切り替わりつつあることも、日記が書けない原因の1つといえる。つまり、「集中力」という重要な問題。
窓の下の道路は、車1台どうにか通過できる程度の幅にもかかわらず、抜け道としてよく使われていて、昼夜問わず、車がひっきりなしに通過する。そのため、窓を開けたままで過ごすことの多いこの時期の日中は、うるささのあまり、気が散ってたまらない。その上、今年もまた、ほんの10数メートル先にある小さな田んぼから、あのおぞましい生き物の大合唱が聞こえてくる。そんな悪環境の下で、集中力とまともな精神状態をキープするのは、至難の業といえる。
と、こんな言い訳ばかり並べても、結局、何も変わらない。思い切って、そろそろ書き始めないと、ひょっとすると、この日記が自然消滅してしまう恐れさえある。不定期になってしまったとはいえ、このまま終わってしまうのはさすがに不本意なので、まずは、何も考えず、思いつくまま書き殴ることにした。来週早々、膨大な量の荷物整理のため、また帰省しなければならないので、それまでに少しぐらい書いておきたいという気持ちも強い。
といっても、こんなもの、とても日記とは言えないけれど・・・。

It Takes A Lot To Laugh, ・・・/David Bromberg

久しぶりにJormaの日記を読んでいたら、冒頭から、注目すべきコメントがあった。
ライヴの帰りに自宅まで車を走らせている間、ある曲がずっと頭に流れていたという。そこに書かれていた歌詞に、思わず眼を留めた。♪Don't the moon look pretty, shinin' on down through the trees〜♪というものだったから・・・。
すぐに検索したら、Charley Pattonの「Poor Me」の一節だった。
WZの「Desperados Under The Eaves」の♪Don't the sun look angry through the trees〜♪に、どことなく似ている。
もちろん、デルタ・ブルーズの大御所のフレーズを、WZが意識的にもじったのだとしても、決して不思議ではない。ということは、別の名曲、「Poor Poor Pitiful Me」までも、「Poor Me」からさらに派生させたものかもしれないというのは、考えすぎだろうか。
さらに調べてみると、Bob Dylanの「It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry」の♪Don't the moon look good, mama, shinin' through the trees〜♪という部分も、「Poor Me」の影響を受けているのではないかと書かれているサイトを見つけた。なるほど。
ブルーズの歌詞やフレーズが、その後の多くのミュージシャンの音楽に影響を与えているというのは周知の事実で、今さら言う必要もないけれど、自分の身近で、偶然、それらしき事例を見つけると、やはり意味もなくうれしくなってしまう。
話は変わって、自分の気付かないところで、ネット・トラブルに巻き込まれてしまったようで、驚くとともにあきれている。ある人の書き込みに不備があったので、少し補足をしたら、どうやら逆切れされたらしい。まさか、そんなことがあったなんて知る由もなく、数日間そのままにしていた。
説明不足や、(時と場合によっては)誤りを、互いに補い合うというのは、ネット上でよくあることで、私自身、曖昧な知識や勘違い、さらには明らかな誤りを、多くの人に教えてもらったことが、これまでに何度もある。そんな時、自分の不手際を恥ずかしく思ったり、相手に感謝することこそあれ、逆切れしたことなんて1度もない。だからこそ、今回の状況は、まったく理解の範囲外のことで、大いなる疑問以外の何ものでもない。
ところで、先週あたりから、CDの到着ラッシュ!これは、今に始まったことではなく、「降ればどしゃ降り」のごとく、届く時は、いつも決まってドサっと立て続けに届く。今日もまた・・・。バーゲンで見つけたDavid Brombergのニュー・アルバム。既述のDylanのカヴァー曲も入っていた。なんという偶然!

Hong Kong Blues/Amos Garrett

遅くとも5時15分には家を出ないと間に合わないのに、出遅れること数分。それを取り戻そうと、必死で自転車を走らせた。
目指すは「磔磔」!何年も前のJormaのソロ・ライヴと、一昨年のMarc Benno以来、ようやく3度目と不慣れなため、烏丸から仏光寺通りに入ったあたりで迷い、着いたのは開場時間ギリギリだった。
で、ここからは、恥ずかしい告白となる。
実は、私、Amosが参加しているアルバムを1枚も持っていないどころではなく、聴いたことすらほとんどない。<a href="http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=435022&log=20050908">Marc Benno</a>の時もそれに近かったけれど、今回はもっとひどい。Great Speckled Birdの万博ライヴ音源を、かろうじて聴いたことがあるだけ。しかも、それすら、つい2年前のことだった。
決して興味のないタイプではないのに、長年にわたり、名前を知っているだけで、ずっと縁のなかったミュージシャンというのは意外に多い。Amosもその1人だった。
それでも、日本人のサポート・メンバー2人(後に、ピアニストも参加)を従えて、眼の前の椅子に腰を下ろす彼の姿を見ると、超初心者の私でも、まるで昔から慣れ親しんで聴いてきたかのような気がしたのだから、不思議なもの。
うれしいことに、1曲1曲必ず、ユーモアを交えて説明してくれたので、よく知っているカヴァー曲だけでなく、初めて耳にする曲でも、解説を元に楽しみながら聴くことができた。
ただ、全体に小綺麗で、泥臭ささがほとんど感じられないのは意外だった。ヴォーカルも、普段からアクの強い人を好んで聴いているせいか、物足りなく感じた。
そんな中、「Lazy Bones」は、どこかで聴いたことがあると思ったら、Leon Redboneもカヴァーしている曲だった。アコースティック・セットでは、「Hong Kong Blues」が一番ツボにはまった。そして、これがHoagy Carmichaelの曲だということを、この時初めて知った。まったく、無知丸出し。
「Sleep Walk」が、日本だけでなく、カナダやヨーロッパでも一番リクエストが多い曲だというのは、なるほど!と納得。残念だったのは、最前列のど真ん中に陣取っていたのが仇となり、真正面に譜面台が置かれていたせいで、彼の左手がまったく見えなかったこと。たとえ見えたところで、専門的なことは何もわからないけれど、聴覚だけでなく、視覚的にもこの曲を味わいたかった。
でも、何だかんだと言いつつ、私の血が一番騒いだのは、アンコール前の「(New) Walkin' Blues」。こればかりは、私の趣味嗜好が変わらない限り、どうしようもない。

Desperados Under The Eaves/Warren Zevon

昨夜はいつもより早めに寝ることにしたのに、なかなか眠れず、結局、WZのバイオの続きを読むことにした。ところが、部厚く重い本のため、横になったままの姿勢では、とても読みづらい。両手だけでなく、眼もすぐに疲れてくる。それでも、次から次へと興味深い内容が続くので、ページをめくる手が止まらない。あえて時計を見るのを避けたけれど、多分、2時間ぐらい読み続けていたと思う。
そうして、睡眠不足のまま目覚めると、昨日より風邪がひどくなっていた。喉だけでなく、鼻もグスグスする。それでも、明日は雨だというので、今日中に出かけなければならない用のため、無理して自転車に乗った。が、やはり無謀だった。そう遠くない目的地に着くと、その場にうずくまりたくなるのをどうにかこらえて用を済ませ、帰宅するなりそのまま横になった。意識はほとんどなかった。
そのまま数時間が経過し、少し気を取り戻すと、懲りずに本の続きを読み始めた。WZのように、特に歌詞にこだわりのあるSSWの場合、そのバイオグラフィは、各曲がどのようにして書かれたかを知るのに大いに役立つ。歌詞に出てきた地名や固有名詞が、バイオの中に登場するたびに、1人でニタニタしてしまう。
たとえば、2ndアルバムに収録の「Desperados Under The Eaves」に出てくる「Hollywood Hawaiian Hotel」というのは、Tuleや幼い息子、Jordanとの生活に疲れた時、何週間も滞在していたという避難所の1つ、「Hollywood Hawaiian Motel」のことだった。その時、滞在費が払えず、友人の助けを借りて部屋の窓から荷物を放り出し、こっそり逃げたという。こんな事実を頭に入れて曲を聴き直すと、より一層味わい深い。ちなみに、WZの名誉のために付け加えておくけれど、後にこのアルバムが売れて、金銭的に余裕ができると、踏み倒した宿泊費を払いに戻ったらしい。
こういったエピソードを、1つ1つここに書き並べるとキリがない。できることなら、このようなキーワードすべてを、索引として巻末に載せてほしかった。かろうじて、人名のみ「Who's Who」にまとめられている。ただし、それさえも不完全なものに見える。というのも、ざっと見た限り、女性ミュージシャンで名前が挙がっているのは、Karla Bonoff(一時、WZの恋人だったというのには驚き!)とBonnie Raittの2人しかいないのだから。WZの曲を世間に知らしめた最大の功労者とも言えるLinda Ronstadtの名前が見当たらないのは、どういうことだろう?WZではなく、Crystalとの間に、何か見えないしがらみでも存在するのではないか?と勘ぐりたくなる。